人を嫌うことは悲しいことだけど。
世界でただひとり、嫌いな人を挙げるとするならば。
「母親、かな」
「母親・・・?」
昼休み、偶然居合わせた飯原月音くんと昼食を食べながら「嫌いなもの」の話になった。
最初は僕の姉、早百合の話だったのだが。
「お前の姉はどうにかならないのか」
「どうにもならないでござるよ・・・何故二人はそんなに仲が悪いのでござるか」
「嫌いなものは仕方ないだろ。姫宮にはそういうのないのか?」
「嫌いなもの・・・」
それが、自分が1歳のときに家を出た母親だった。
しかし、当時の自分はあまりにも幼すぎて、実際の母親の記憶はあまりない。
ただひとつ知っているとすれば、アルバムの中にいる母親。
自分が女であったらこんな感じだろう、と思うくらいにそっくりだった。
両親が離婚した理由はよく知らない。
ただ確かなのは、そのために父や祖母にたいへんな苦労を掛けたということだ。
旧家というだけで家柄は良い方だが、決して裕福ではない家を支えるために父は働き詰め。
祖母は茶道、華道を教える傍ら、母親の代わりに三姉弟の面倒を見ていた。
多忙の父や、無理がたたって体調を崩す祖母を見ているうちに、自分の中に母親に対する嫌悪感が芽生えていたのだった。
「・・・離婚しただけで母親を嫌う理由が、俺には分からないけどな」
・・・そうだ、彼にも母親がいないんだ。
兄弟とも大変な苦労をしていると聞いていた。
「母親がいれば、と思うことはない?」
「ない。俺は今の生活で十分だし。母親の事は仕方ないって割り切ってる」
割り切れないほうが、おかしいのだろうか。
実際、母親が何かしたというわけではない。
だが、禰々を産んですぐ姫宮と縁を切るという母親の行動とその理由はどうしても理解できなかった。
父も祖母も何も教えてくれない。
近所の話によれば父との性格の不一致だったようだが・・・
「・・・月音くんは大人だね」
「考えるだけ無駄だしな、そんなの」
無駄・・・か。
そういうものなのだろうか。
考えてみれば、禰々も月音くん同様に母親の事に関しては全く気にしていないようだった。
だが、姉は。
いなくなった母親を、朧げながら今でも覚えている。
――お母さまは、とても優しくあたたかな人でした。
できることなら、また逢いたい・・・
そしてまた、お母さまと呼びたい・・・
母親は父も祖母も自分達も見捨てたんだ、と何度言ったことだろう。
その度に、お母さまを悪く言わないで、と言われた。
どうせ会えないなら憎んでいた方が幸せだろう。
記憶なんて美化されるものだし。
「授業、始まるな」
「うん・・・」
予鈴が鳴ると同時に、思考は中断された。
この時僕は知らなかった。
母親のことなんて何もかも・・・
PR